『たましいの庭』に咲くうつくしい花、とは?
『たましいの庭』に立ちながら『ふたつくに』を生きてゆく

誰の内にもある『魂のフィールド(ソウル・ガーデン)』に日常的に旅した『空歩くもの』の物語
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1:生(き)の空
<鹿樹>
そんな樹があるという
それはたしかに樹なのだが、よく見ると枝は鹿の角だ
豊かに茂って花や実をつけた大樹は、その幹を成す鹿に運ばれ
安らかな緑の大地の奥深くにいつも在り続けるという
だから、鹿樹のある地は緑陰濃いのだと
けれども、その樹を見た者はいないのだと
その話をハルに語ったのはライムだった
聞いたとたん見えるような気がした
どこかで聞いたことのある『生命の樹』のようだと漠然と思った
生きて運ばれる『生命の樹』
その「絵」を思うと、いつもハルの呼吸はゆっくりとなる

シノダライムはハルの森の教師だ
杜と言った方がいいかもしれない
ライムは小さい頃から神社を庭に育った
全国に一万五千社以上あるというイチキシマヒメの社(やしろ)
彼女はその末の社の巫女の子として生れた
巫女にはならなかったが、すこし不思議さんだった
ライムはハルの名前を気に入っていた
「サイバラ・ハルっていい名前だね。西の原って書いて。おまけに春!」
自分で言って自分で手を叩いて笑う
「は?」
ハルは姉のような気分になって、そんな不思議ちゃんに目を細める

ハルの昔なじみのコオの弟と、彼女は恋仲
その、弟のトオヤマソータもすこし変わっていた
仕事は転々と。定職にもつかずに。だけど神話に詳しくて
いつか本を出すのだと夢見がち
夢見と不思議はコンビでハルに関わってきた
だが今、こころをほどけるのは彼らといる時だとふと気づく
コオのことを知っているからかもしれない
コオがいなくなって、もう何年だろう
いなくなった気がしていないから、時を刻むのもやめている

今、一番思い出すのはコオと海沿いを車で走った日
ハルは夢だった
自分のとなりに守りたいひとを乗せて走ることが
ナイーブだった幼い頃、周りをハラハラさせた
ハラハラしてくれるひとがいた。守られていた
でもいつか自分が守る側になることが、きっとこのナイーブさを癒してくれると、ハルはその頃からうすうす勘づいていた
コオと知り合った頃、コオはハルの錨となり、ハルをこの世につなぎ止めた
だけど、やっとひとりで歩けるようになったとき、守らせてもくれず
コオはあっけらかんといってしまった
「これ、さよならなんかじゃ、ないんだ。」
そう、言って
コオ。光、と書く
そんな名前なんかつけるから、光になってしまった

いつからだろう
コオと出会うすこし前からだったろうか
ハルは空に未来を感じるようになっていた
たった今、ここにいながらここは未来

光る
白い

 
過去と未来と今を隔てる薄絹のようなベールが剥ぎ取られた生(き)の空が
たった今、たしかにここにある



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2:還り道
その日は、まだ暑いが天は高かった
東京の空も、空は空だ
そこへ行く時ハルはいつも日常は置けるだけ置いて
生きる者でもなく、生きていない者でもない
何でもない者になるよう小さく努力していた
もっともそんな努力など、なんにもならない
死ぬことを忘れて(おそれて)生きている者でしかありえない
それにしても空はそこにある。こんなすこんとした重力のない無限の空が
空に祝福されるように、駅の階段を下った

「こんにちは。」
「あ、サイバラさん、今日はこれからお見送りがあるんですよ。」
「そうですか。」
ハルはちょっと遠慮しながら申し出てみた
「あの、もし、よかったらなんですけど・・
わたしもお見送りさせていただいてもよろしいですか?」
婦長のエミさんは一瞬の間を置いて答えた
「ええ。・・そうですね。そうしますか?」
スタッフの控え室で待っていると
神父の服を着た人がまるでふつうに明るい顔をして入って来た
ハルに笑いかける
「ああ、シアツの?」
「はい。ボランティアです。ツカダさんのお見送りをさせていただきます。」
神父さんはうなずいた
間もなく、スタッフの声がした
「ツカダさんのお見送りです。」
すでに玄関に並んでいるスタッフの間に立った
エレベーターが開いて、柩がストレッチャーに乗せられて運ばれて来た
ここ、ホスピスで、ハルはシアツのボランティアをして2年経っていたが
お見送りは初めてだった

少し固く立っていたハルの間近に、彼は微笑むでもなく、苦しむでもなく
清潔な顔をして横たわる
スタッフはまるで生きているように笑顔で話し掛ける
「よかったねえ。ツカダさん。おつかれさま。やっと楽になったね。」
日常的な会話に肩がゆるんで、ハルはツカダさんを見つめた
ほんとうにきれいだ
まるでうつくしい砂を見るようにきれいだ
なにかが抜け落ちて、なんのさわりもないように湿り気がなかった
削りたての白木のようだ
神父さんによる言葉とスタッフの聖歌ではなむけられ、ツカダさんは送られる
ツカダさんの乗った車に手を合わせた
すでに白い灰のようなさらさらの、しかしたしかな生の証が
還り道を静かに滑っていった

その後、コニシさんのリクエストが入っていて
ハルはコニシさんの部屋へと向かった
コニシさんはハルがここへ来るようになった頃から
ハルのシアツを受け入れてくれている
初めてのシアツの時、火曜のドラマの話で盛り上がった
僻地の医療に取り組む若い医者の物語だった
コニシさんはちょっと愉快そうにしゃべりかけて来た
「ありゃあズルイよ。泣かせて。あんな先生にかかりたいよね。
そんな先生、いないだろうけど。」
気がつくとふたりで笑い声をたてていた
ホスピスに来ていると気負っていたハルの肩の力を抜いてくれた人だった
工事の現場で働いてきたにしては小柄な体格のコニシさんは
訥々としていたが愛想がよく、ハルはずいぶんすくわれていた
コニシさんはたぶんそんなこと、思ってもいない

あれは去年の夏前だったろうか
いつもどこかひょうひょうとしていたコニシさんが
初めてこうもらしたことがある
それはハルはその声音とともに忘れられないでいる
「今度の花火、見れるかな?」
ハルは浮上する想いをすかさず飲み込んで、確信に変えてこう言った
「だいじょうぶですよ。モチロン見れますよ。」
コニシさんは淡く笑った

その頃からすると、コニシさんはどこか力強く、ふっくらと顔色よく見えた
「どうですか?」
「最近はちょっといいねえ。だけど肩がこるんだ。」
「ここは、どうです?」
ハルが押さえたツボが響くらしく、コニシさんはいい顔をした
「ああ、いいねえ。きくねえ。こういうのは初めてだね。」
思いがけず反応がいいのにハルはほっと息を吐いた
治すことではない、交流
そうであっても、すこしでも痛みが楽になるならば、ハルはすくわれた
ハルがこの座標に居ることが、まるですこし許されるような気がした
 
シアツ仲間のウナカミさんからメールをもらったのは
それからまもなくだった
「コニシさんが亡くなりました」
あたりまえのことば。覚悟はしていた
その後ずいぶん経って、スタッフに聞いた
コニシさんは、スタッフ泣かせの気難しいひとだったそうだ
ごく最近ずいぶんやわらかくなって、そして、明るく旅立った、と
そんな気難しいコニシさんは
2年前からハルは、一度も見たことがなかった

空を見上げた
やはり澄んで、光っている
(コニシさん。・・ありがとう、なんて言わない
言ったらさよならになる・・
コオの時のように
さよならじゃないから
・・少し、先にいっちゃっただけだよね。)



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3:不思議
 それからいくらか日が経って
陽射しにいくぶん秋の落ち着きを感じ始めた頃
ハルはライムとソータと国道沿いのカフェでお茶をした
ここは、以前、コオとも来た場所
コオはたんぽぽコーヒーがあるので気に入っていた
ハルは無意識にたんぽぽコーヒーを頼んで
ふたりがじゃれあうようにしゃべっているのを、眺めるともなく眺めていた
コオのこと、そしてコニシさんのことを思い出したせいだろうか
ふたりの声はふと遠くなった・・

 いや・・
 そうではない・・・

ハルの周りにせせらぎがそそぐようにある感覚が充満してきていた
それをハルは無防備に感じていた
ライムのことを不思議ちゃんと呼んでからかって
ジブンは普通の人間だとたった今まで思っていたのに
やってきたそれは、十分不思議な感覚だった
(・・?・・)
ふたりは相変わらずしゃべっている
なのになにを言っているのか聞こえない
それは、ものを考えることから剥ぎ取り、無条件に疑惑や不安から遠ざける
その自分にそそぎ来る流れのようなものをただ静かに受け取って
その流れて来る先の、遥か元を辿ろうとした
えらい先だった。はかり知れない
(・・え?)
滔々と、その川のような流れは
果てしない彼方からまさに自分へとそそがれ、流れ続ける
こわくはなく、なされるがままだった
10分も経っただろうか
それはすこしずつ、すこしずつ、ゆるやかに・・
雲が切れるように、消えた
それとともにふたりの声が戻って来た

「行かない?」
ライムはハルの方を向いてそう誘った
運ばれたたんぽぽコーヒーはぬるくなっていた
ふたりはハルの異変に気づいていない
話をただ聞いていたと思っているようだ
その誘いは宮島の厳島神社への1泊の旅だった
イチキシマヒメを祀る中でも大御所のうちのひとつだ
「絶対気に入ると思うよ。行った方がいいよ。」
ライムの物言いは、いつもどこか直観が入っていて断わりにくい
いわば有無を言わせない
「ソータと行けばいいじゃない。」
「オレは行けないんだ。行ってきなよ。」
その場では返事せず、帰ってから気になってしかたないので地図を開いた
カフェの場所を確かめる
そして、自分が座っていた位置
そこから、覚えているあの流れの方向を指でなぞった
「あ。」
流れの元を探る指は、遠く西へ滑り、厳島神社のある“宮島”で止まった

広島行きのぞみ11号車11番
ライムはうれしそうにハルのとなりで車窓から富士の山を眺めている
ハルは身を乗り出すライムの姿がこどもじみていて思わず笑った
「富士山、好きだね。」
「だってここは、神界。この島の中でも特別な場所なんだよ。」
ライムはこの国のことを、この島、という
薄茶色の瞳を陽に透かし、どこまでも無邪気な笑みをはじかせた




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4:宮島
広島駅に着くと、在来線で宮島口へ
牡蠣もそうだが、穴子も名物だというから
船に乗る途中で穴子めしを買う
ライムはそういうのにはうとい浮き世ばなれ
だがハルはそんな現実は好き。ものを食べるっていう現実

海を挟んではいるが、宮島はすぐ向こうに望めた
渡るフェリーもほんの10分ほど
乗り込むと潮の匂いが濃くなってくる。陽の高い海が強く光る
なんという解放感だろう
ハルはもうすでにそこで、無上の喜びを感じていた
あの水の光り様。まんまとライムの言う通りだ
あの不思議な感覚も、うっかり忘れるほどだ

桟橋に着く
たくさんの観光客とともに、“竜宮城”でも控えていそうな
『神の島』へと降り立った
まっすぐにあの紅い鳥居へと向かう
船からも印象的に望めて、人を引きつけていた
ちょうどこの時間は潮が引いて、水底は干上がっている
ハルは水上の鳥居しか知らなかったが
ここはこうして潮の満ち干で時間によっては鳥居の真下まで行ける
海が退いた渚を歩いてゆく
ところどころ窪みに海水が溜まっていて
小さな海藻がそのままとり残されていた
よく写真で目にするこの象徴的な鳥居は
なみなみと満ち溢れる海に立っているはずだ
それが今、ない

ハルは軽い衝撃を受けていた
この小さな入り江にこの“星”の潮の満ち引きの大きな力が
ありありと出現している
そばに立つと鳥居は思っていたより大きい
陽射しを受けて朱の色がまぶしい。水に浸かる跡が生々しい
また数時間でここは海に沈む
そこから本殿がよく見渡せた
緑を背負い、端正だ
(ここからあの流れは来たんだろうか?)
何も感じられない
(あれはなんだったんだろう?こことは関係ないんだろうか?)

ふたりともなかなかそこから離れることが出来なかった
「腹ごしらえする?」
ようやくライムが言うので空腹を覚える
鳥居を眺めることのできるベンチを探した
対岸も望める気持ちのいい場所にちょうど空いているベンチを見つけ
ふたりは座った
新幹線とはいえ、東京からは長いアプローチに腰に軽い疲労を覚えていた

ライムは機嫌よく穴子めしの包みをほどく
ハルは箸を割って、目の前の渚で貝拾いに興じる人々の姿に目を落とした
再びあの感覚を思い出していた
「あのさ、」
「なに?」
振り向くライムのくったくのない顔に見とれながら
ハルはあのことを語り出した
「ライムに誘われたカフェで」
「うん。」
ちょっと反すうするように黙って、そして続けた
「こんなことがあったんだ。」
ライムは黙々と穴子めしを口へ運びながらうなずいて聞いていた
そして少しも驚かず、穴子をつかもうとした箸をハルに向けて
思いがけないことを言った
「助けられてるね。」
「え?・・何?」
「応援。」
「何に?」
ライムは紅い鳥居の方に目をやり
そのまなざしを奥にあるであろう本殿の方に向けた
「イチキシマヒメ。」
穴子めしを食べることを忘れてきょとんとしているハルを横にして
ライムは遠慮なく続けた
「どうしてもここへ連れてこなくちゃって思ったの。そういうことか。
まあ、とにかく食べて。それからね。」
こういうわけのわからないことを語るときには、ライムの方が姉じみていた
「・・なんのこと?・・」
つぶやき、ボソボソと穴子を口に運ぶハルに、ライムは力強く笑った
「全部、イミはあるよ。どんなフシギも、そうでないものも。」
「なんのために・・。」
フシギに対する免疫はライムほど強くない
「さあ。それをいえばわたしとハルが出会ってるのも、何かの計画かもね。」
ライムはつるりとした顔でわけのわからないことを言う
ハルはそれ以上突っ込むのをやめた
(わたしはただ、地に足をつけてこの世を渡っていきたいだけだ。)

そう願っていた。幼い頃から
だから、コオが引き止めてくれたこと、感謝している
(でなければわたしは今、ここにいただろうか。)
頭を振った。なんだか思うことが全部コオの海にそそぐ川みたいだ
もうソロソロ、海に背を向け山を登ろう



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5:厳島
食事を終えて立ち上がったライムは意外なことを言った
「宿に荷物置いて夕方まで宮島をぶらつこう。」
「厳島神社に行くんじゃないの?」
ライムはニヤリと笑ってみせた
「ここはね、タイミングがあるんだ。」
ライムらしくなくありきたりの観光をした
ここは厳島神社だけでなく、寺や小さな神社、史跡がたくさんあり
丁寧に見ていったらけっこうな時間がかかる
もったいぶるようにひとつひとつのぞいてゆく
だが合間に観光客であふれる通りを1本それると
けっこう裏路地には普通の暮らしがあり、生活があることの方が
かえってハルには面白かった

「案外住んでるんだね。」
「そりゃそうだよ。ここは神の島だけど絶海の孤島じゃないから
他と違うのはお墓がないことくらいかなあ
墓だけは穢れとして島の中にはおけないらしいよ。」
「ふうん。そういえば“死”ってどうして穢れっていわれるのかな?
だれだって死ぬのに。」
ハルは清潔でうつくしかったツカダさんを思って疑問を口にした
「汚いって意味じゃなくて、気枯れ(けがれ)だと思うよ。」
「気枯れ?」
「神聖なものをお祀りするには
そこをいつも清浄に保たないとならないの、なんでだ?」
「さあ?」
「神聖なものはものすごく細やかな粒で出来てると思ってみる?
そんなのはどよんとした中じゃ感じにくいの
空気のようなもので気の流れっていうのがあるけど
清浄って気の流れがよくて澄んでること
そんな気が枯れてよどむと空気は重たくて何も感じられなくなる
だから気枯れには気をつかう。」
「“死”は気が枯れるの?」
「うん。泉が枯れるようなもんだから。」
「泉?」
「ひとってその座標に泉が湧くようなもんでしょ
泉がこんこんと湧いてたら、気の巡りもいいもの。」
「へえ。」
(いのちは泉?)
「別に死は気枯れでも墓は単に墓であって
気枯れとまではあたしは思わないけどさ
“死”は気枯れだって意識は強いんだよ。」

路地裏も探検しつくし、お休み処で一服までした
ハルはだんだんじりじりとして来た
「まだ行かないの?」
余裕を見せていたライムは手元の時計に目をやるとやっとうなずいた
「オッケー。」
雲は茜色に染まってきていた
ようやく厳島神社の本殿へと向かう

ハルは驚いた
上陸した時はなかった海水が神社の床下をたっぷり洗っており
鳥居の脚は水没している
はじめに干上がった海の鳥居を見た時と、同じくらいの感激があった
(ライムはこれを待っていたんだ。)
パラパラと観光客がいる
印象的な朱の回廊をゆく
その回廊を曲がった先に、御祭神が祀られているという本殿が
陽に赤く染まって控えていた

あんなことがあった後なだけに、神妙な心持ちがした
信仰はないのだが、たしかにひとつのかけがえのない縁と思った
柏手を打ったハルはそっと手を合わせた
だが、まだ、実感はなかった
舞台のような広々とした空間の向こうに
あの海の鳥居がそこだけ妙に人間的に紅い
誘われるようにそちらへと向かった。気づくと人が途切れている
ライムはライムでまだ御祭神を拝んでいる
ハルはふと導かれるように桟橋のような海に突き出た板敷きの突端に立った
鳥居に向き合う
静かに満ち満ちる水に身を任せるように、ただ、そこに佇んだ


 時が
 止まる

 ・・何の時も、そこにはなかった

 過去も。未来も。今、すらも
 すべてが重なりあったような交差点
 ・・・・
 遥か。遥か
 本殿を背にしたまま、ハルは抱かれていた
 貫くものに
 おかげで波にさらわれるような錯角にも、倒れることはなかった
 全部、受け止められていた
 吠えるような願い
 隠されていた願い
(知らなかった。)
 ほんとうの願い
(だったら)
 波に揺れる
(わたしのその願いを)
 鳥が渡る
(支援してくれるというのですか?)
 のどの奥が哭く
 噴火してきそうになるそれをかろうじて飲み込んだ
 その時、ライムが横に立った
 何も言わないが、意味ありげに笑った
 同じ交差点にライムも立っていることが伝わって来た
 言葉は要らない
 鳥が還って来た
 ツアー客の足音が聞こえてきた
 ほんの一瞬のことなのに、永遠のようなひとときだった
 ライムと目を合わせて、少し、汗をぬぐった
 ライムはそっと笑みを見せ、そして言った
「行こうか。」

厳島神社を見下ろす千畳敷に昇る石段を登りながら
ハルはやっとことばを口にした
「ここは・・。」
ライムは石段に目を落としながら、しみじみと応じた
「・・そうだね。」
何がそうだというのか、言葉にしていないのに、通じていることがわかった
「こんなことをライムはいつも感じながら生きてるの?」
石段の途中で足を止めて
ライムは振り返って厳島の本殿を見るような振りをした
「いつもじゃないケド・・。まあ、ね。」
そして、ふと一段石段を降りてみた
もう一度一段登ってみる
「ほら、ここ。」
「なに?」
「ここと、ここ。違うのわかる?」
「え?なにが?」
言われて一段降りてみる
真似をしてもう一度登る
「・・あ。」
そこには絹より薄い夜明け前の光のようなかすかな層の違いがあり
言われなければ気づかないほどだった
「ここと、ここは、隔てて、ある、境になってる。聖地にはよくある。」
見つめるハルを尻目にライムはいたずらっぽく笑って階段を駆け上がった
上がった先には秀吉が建てたと言われる
ガランと広い千畳敷と呼ばれる豊国神社があって
未完成で終わったというその建造物は内部の何もなさが
かえって気持ちのいいところだった。
「境って?」
「聖なる空間と俗世との境。」
「あんな、何気なく?」
「うん。たいがいは鳥居とか、門がその役割を果たしてる。」
やっぱりこの世と別の世をまたいでいるようなところが
この不思議ちゃんにはある
そう思いながらハルはライムに声をかけた
「明日はどうするの?」
「朝、早めに弥山に登ってみる?」
「みせん?」
「ここは、その山があるから聖地なんだよ。」



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6:弥山
翌朝、ハルとライムは厳島神社の背後に鎮座する弥山という山を目指した
ハルはほんとうに何も知らないで厳島に来たことが思い知らされた
ライムがハルの顔を覗き込んでくる
「宮島ってどんなとこだと思ってたの?」
「海と神社がある場所だと思ってた。島っていうのも知らなかった。」
「ようこそ。弥山の島へ。」

そうきつい山道ではない。ロープウェイがある程度まで通っている
ハイキング気分で。こどもなんか駆け上がっていけるコースだ
普段心臓も筋肉も使わないハルは、息切れしていた。ライムに言われる
「頭で歩くときついよ。下半身で歩くといいよ。」
やってみる。気のせいか楽だ
頭を使わないこどもたちに次々抜かされながら、ようやく弥山の山頂に出た
巨石がごろごろと並んでいて
神聖な山にしては意外にも休憩所のような建物がある
行楽客が思い思いに休んでいた
中には小さなバーナーでコーヒーを沸かしているひともいる
ふたりは海を見下ろす場所に、巨石を背にして座った
ハルは登る途中からなくなった“頭”をただぼおっと感じながら
天上の庭のように美しい海の光景にただ言葉をなくしていた
いつもにぎやかなライムも黙っていた

遠い記憶を探るように、ハルはやっと言葉を見つけた
「・・自分でも知らなかったほんとうの願いってあるんだね。」
ライムがそっと振り向く
「小さな頃なんて願いなんかなかったよ
生まれた不運ばかりを嘆いていた気がする
今より若い頃はがつがつしてた
目の前の簡単でたしかな実感ばかり求めてた。だけど・・。」
ライムは聞きながら海へとまなざしを戻した
「きのう、ここで、わかったことがある。」
「・・。」
「それがどんなにばかばかしいことでも
それをするために生まれてきたってものが必ずあるんだ。誰にでも。」
「うん。」
「それは、あれを、表現するってこと・・。」
「あれ?」
「あの瞬間顕われるアレ。」
「・・。」
「きのうでも明日でもない、時のない瞬間
それを感じている時にやっているすべて。なんでもいいんだ。」
そういってハルは巨石の間を駆け回るこどもを目で追った
「あれもそう。」
そう言って天を舞う鳥の姿を指した
「あれもそう・・。」
「呼び声を聞いた?」
「呼び声?」
「このちっぽけな自分を捧げるものへの壮大なご招待。」
「ライムは聞いたの?」
「外からというより、内から湧く感じ。胸がいっぱいになる感じ。」
「うん。・・それは・・あるね。」
「ハルはなにをするために生まれてきたんだと思う?」
「・・ずっとわからなかったんだけどね・・
ただ、この感動のようなものをどうにかしたいとは思った。」
「じゃあ、ソータと同じだ。」
「え?」
「彼もそう思って本、書いてる。」
「そっか・・。」

「だけど、思うんだ。ここへ生まれるっていうのは
もっと生々しいものがあるよね。」
「えっ?」
「元々そうであるものを表現するのに、もう一段手続きが要るの。」
「なに?それ?」
「ふたつくに。」
「?」
ライムは立ち上がった。またやはりどこか大人びて見える
「ここは、陰と陽。光と影のくに。あらゆるものがふたつにわけられた世界
それがありながら、あれを表現しなくちゃならないの
それ、けっこうきつくてね。みんな路頭に迷う・・
みんな違うことをしているようで、同じことで絶望してる。」
「そうなの?・・」
まるで目覚めたばかりの幼子のように、ハルはライムに教えを乞うた
「みんなほんとはそれがしたいんだよ。だけど、そうはさせてくれない
なぜ?ここはそういうところだから
なぜなら、まったく違うふたつのものを融かして
あれを顕わすためにここへ来たから。しかたないんだ
その切なさが、でも花を咲かす。」

「花?」
「たましいのくににある庭には、ここで切ない想いをするたび
すんげー綺麗な花が咲く。」
真面目に語っているかと思うと、ライム節が出る
ハルから思わずくっと笑いが漏れた
「笑ったね。」
「たましいの庭か。昔、『花咲き山』って絵本を読んだことがあるよ
いいことをするとひとつ花が咲く。」
「ちょっと違う。いいことをするから咲くんじゃないよ
いいこと、なんてひとが思ってることとはちがったりするもの。そこにはね
せつない想いをするたび、花のようなきれいなものが生まれるんだ。」
「・・。それじゃ、相容れないように見えるふたつのもののはざまで
どうにもできなくってさいなまれるような想いをしても
それもありってこと?」
ライムが名前の通り柑橘系の笑顔を見せた
不思議な笑顔だった
どんなものさしでも測れないような
ハルは初めて見るようなその顔に魅了されながら、続けた
「でも、その上でなお、目指してるんだね?
ふたつのものがひとつになることを。永遠のように。性(さが)として。」
「だから聖地は必要なの。」
ハルはうなずいた
「支援基地ってことかな?」
「ん。ベースキャンプっていうか。」
「ある意味、われに返るとこだよね。」
「うん。」

下山すると、まるで海から上がる時のような幽かなからだの重みを感じた
「島自体、都会よりは聖地だけど、もっとポイントがあって
そこから離れるとその違いがよくわかるよね。」
ライムがひとりごとのようにつぶやいているのにうなずいた
帰り道、ひとの喧噪を懐かしく漂いながら、名物のもみじまんじゅうを買った
「でもわたしはこのわさわさごちゃごちゃしためんどうな世界も
まんざら嫌いじゃないよ。」
ハルがそう言うのを聞いて、ライムは笑いを含みながら小さくうなずいていた




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7:何億光年先
厳島から帰ってから
しばらくは本殿の突端でのあの感覚が忘れられなかった
自分が立っているのではなく、座標軸に引っ張られて立たされていた
寸分違わぬ何かの計画がある
あの日、あの時、あの角度で鳥が飛んだのも、間違いのない手配がある
なぜかそう思えてしかたなかった
そんな厳島の余韻が続く中、また『訪問日』が来た
ハルは駅に降り立った時
この負けそうなくらい雑多なカルマに満たされた街の空が
それでもたしかに白くあかるく抜けていることを感じた
だったらやっていけそうな気がした

ほんとうはいつもこの空はあったのかもしれない
だが近年、初めてのようにハルに発見された
空は待っているのかもしれない
こうして人々に見い出されるのを

そこに着いた
タクマさんのリクエストが入っていた
タクマさんはいつも小奇麗な紳士で大病の人には見えなかった
だが病状は進んでおり、あまり言葉を発さない
からだの硬直がつらさを物語る
「痛かったら言ってくださいね。大丈夫ですか?」
問いにもわずかにうなずくばかりだった
ハルはタクマさんの背負う痛みをてのひらいっぱいに受け、黙った
そして、そっと
圧した

どこへ?
この闇のような深淵をひとりの人間がどこかへやれるものではなかった
あきらめることすらも出来ず、ただ前へと圧す
その時だった
暗い渦の闇の四方に果てしないひろい海が現れた
生も死も地続きであるという、ただただ深くて、底知れず、ひろい海
そして、誰も彼も余命の長短にかかわらず圧す先の遥かその果てには光しかない
深い闇の向こうのそこへ向かって圧していた
果てしないカルマの渦の向こうに、それはあった
ふくいくと香り立ち上るような、何億光年先の、でもたしかな光
タクマさんは静かな寝息を立てた

事務所に降りると報告ノートを書いた
エミさんが笑顔を見せた
「この間、ツカダさん、どうも。」
「ああ。」
つられて笑顔になった
「ツカダさんねえ
あの日の朝、ソーメンが食べたいって言って、気持ちよくすすって
それで片付けにいったら窓にもたれて亡くなってたんですよ。」
「そんな、やすらかに?」
「コンドウさんの場合は浅間神社まで散歩に行って
帰ってきたら亡くなってね。」
「他にもあるんですか?そういうこと。」
「けっこうありますよ
友達に借りたお金を返して、みんなで温泉に1泊して
帰ってきたら眠るように亡くなった、とかね。」
「ここは、ちょっと不思議なところですね。ちっとも暗くない。」
「まあいろいろ修羅場もありますけどね。いろんなひとがいるから。」
「へえ。」
「でもね。何にでも文句言ってたひとが
ボランティアさんがそのひとのためだけに弾いたギターの音色を聞いて
亡くなる直前だったけど『ありがとう。ありがとう。』って言って
涙を流したこともあるんですよ
・・・
ひとはいつだって変われますね
最後の最後にすべてを捨てて
自分も人も許せることだってあるんですね。」
「だからやってるんですね。」
「むちゃくちゃたいへん。でもむちゃくちゃ面白い
1日が1年分あるみたい。」

ハルはほんとはものすごくナイーブなエミさんが
どんな時も物事をわるくとらないことに気づいていた
もちろんちゃんと嘆き、ちゃんと怒る。泣く
だが圧倒するほどの重みに向き合っていながらおもしろがれるという
生へのあたたかみと愛情がある

いつも、あそこに向かっている
そうだった。あきらめることすら出来ない淵に立たされているから
そこに立たされる時、知らず知らずあの光に向かわざるを得ない
帰り道、どうしてか胸の奥の奥の奥が
炭火がおこったようにほんのりと熱かった



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8:ぐい庵
ハルが家へまっすぐ帰らずに寄ったのは
小さな飲み屋『ぐい庵』だった
山手線内なのに、東京の中でも下町情緒の残る谷中の一角に
その小人の住処(すみか)のように見逃してしまいそうな店はある
元は普通の民家で、看板も出ていない
入り口の引き戸の脇にはいちじくの木が生えており
出入りも不便で商売気のない店だ
休みは不定期で、開いていればラッキーだった
灯る炎の置き場に困るように、帰ることが出来ずに来てしまった

「いい?」
「ハルちゃん。こりゃ珍しい。なに、これからよ。宵の口。」
時が止まったかのように店主のミケさんは
以前とおんなじ場所におんなじように座って居た
冷蔵庫から美しいガラス瓶を出して来た
「これいくか?」
何も言わなければここはビールではなく冷酒が出て来る
日によって違った旨い酒が仕入れられており、それを目当てに来る常連もいる
他にまだ客はいなかった
「ソータは?」
「今ちょっとお使いに行ってもらってる。」
ソータは昼は書き物か他のバイトをし、夜はここで働いていた
「久しぶりだねえ。ずいぶん見なかったじゃない。」
升にちょうどはまるくらいの中くらいのコップ
そのコップに溢れるほどになみなみと酒を注ぎながら
ミケさんはひげに埋もれる唇をもごもごさせた
少し髪は白くなったがちっとも変わらない
ここにはコオと来たのが最後だから、もう何年になるのか
「元気そうじゃない。」
そういってミケさんは三日月の目をして笑った
ハルはほっと息を吐いて木を切っただけの丸太の椅子に座った
「なんだっけ、デザイン?仕事の方はうまくいってんの?」
「今はシアツ、やってます。」
「ああ〜、ソータがそんなこと言ってたな。で、どう?シアツは。」
「まあ、そうですね・・。」
「ただいま〜。」
そこへソータが引き戸を開けて帰って来た
「あれっ?ハーちゃん。来たんだ。」
「来たんだはないだろ。ウエルカムカムよ。ほいさ。」
そう言ってミケさんは腕まくりして包みに手を出した
「おつかれ。」
「はい。」
ソータから包みを受け取ると、奥へ引っ込んだ
仕込みをするようだ
「ハーちゃんが来たのはあれ以来か。」
ハルはうなずいた。思い出していた
コオがハルに、自分の時間がないことを告げたのが、ここでだった
「今日は?」
ハルは首を振った
「ちょっと。ぶらっと。」
ハルはちっとも変わらない店内に感心して見回しながら
ソータに声をかけた
「どう?そっちこそ。」
「なに?」
「夢は進んでる?」
それを聞いてソータは蓮の花が咲く時にぽんと音がするような
そんな笑顔をこぼした
「まあ、それなりに。なんか食べる?」
「じゃあ、さっき奥へ消えたなんか。なに?」
「鯨だよ。」
「鯨?」
「ミケさんの知り合いが手に入ったんで持ってけって。」
「それ。」
「りょうかい。ミケさん、鯨オーダー入りました。」
「あいよ。待ってな。」

いつの間に降って来た雨のせいか、客はほとんど来なかった
鯨をつつきながら飲む酒は、たまたま『酔鯨』という酒だった
そのおおらかで爽やかな旨さに、ついつい杯が進んでしまう
ハルはポロッとつぶやいた
「死ぬって、暗いばかりでもないね。」
ソータが少し笑いながら返した
「それって暗い話?明るい話?」
ミケさんが明るく笑った
「暗くないっつってんだから明るいじゃないの。」
ハルはタクマさんのことを思い出していた
ふたりにはエミさんの話をした
「わたしはコオになにもしてあげられなかった
けど、コオはコオなりにもしかしたらしあわせだったのかな・・
あんなにも受け入れて素直にいくなんて
あり得ない、ウソだってどこかで思ってた
あまりにも早すぎてこっちのこころの整理がつかなかったんだよね
理不尽てものに怒ってた。」
「ハーちゃん、はじめてだね
兄貴がいなくなってからそんなこと口にしたの。」
「そりゃ、そうだよなあ
言えないくらい、来れないくらいってなあ、あるさ。」
こんな時のミケさんはやさしい
店らしくなくても客が来るのは
ここの料理の驚くほどの絶品さと、酒の旨さと
このミケさんのやさしさのせいだった

「もういいから、送ってきな。傘ねえんじゃねえの?」
夜も更けてミケさんはソータをうながした
雨足が強まって、引き戸のガラスをたたいていた
「じゃ、お先っす。」
ミケさんに借りた黒い傘は大きな雨粒をよくはじいた
「あのさ、ハーちゃん。」
「ん?」
「オレもほんとはずっとハーちゃんとおんなじような
消化し切れない思いを抱えてたような気がするよ
俺なんか兄貴と違ってこんな風来坊だし
俺がいかないで、なんで兄貴なんだって
なんつうか、自分を責めるような
けど、やっぱりひとには言えなかったよ
親父もおふくろもまいっちゃって、老け込んだし。」
「うん・・。」
「だけど、最近思うんだ。兄貴がいっちゃったのも、オレがここにいるのも
決められたことなんだって。やっぱり、なにか意味があるんだって。」
「うん。」
「だからオレはオレの意味をやんなくちゃだな。」
「うん。」

ライムが言っていた
ソータもそうなんだって
ハルはなんだかふつふつと温かいものが湧いてくるのを感じて
何度もうなずいた
「もっともオレはいつも地上1mとか10mくらいのとこばっか歩いてるって
ミケさんによく叱られるよ。空歩くな、地に足、つけろって
あ、これって兄貴にもよく言われた。」
「ふふ。だけどさ、空をあるくから
蟻には見えないものが見えるってことだってあるよ。鳥みたいに
時々地べたに降りればいいじゃない
ソータの本、楽しみにしてるよ。」



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9:時のない街
翌日は休日
飲み過ぎて少し重い頭を抱えて起き上がった
昼をちょっと過ぎていた
ハルはアールグレイを濃いめに入れてからだを目覚めさせると
ふた駅離れた場所に建っている図書館へと出掛けた
ここは明るい色のレンガに緑を這わせていて
こじんまりとした気持ちのいい中庭もある
ただ行くだけでも随分と気分転換になる

厳島に行って以来、何かのボタンが外れたような
皮膚感が希薄になって、感受性がもろ空気に触れているような
そんな感覚がしていた
何を見ても泣けたりする
きのうはきのうで胸の奥に火が灯ったりと
感情の振れ幅が以前よりも大きい
少し、落ち着きたくて、通い慣れた空間に浸りに来たのだ

あえて現世的な本ばかり選んだ
スイーツの素敵な店。木工家具の本。おばんざいの作り方
後で思えば自分をこの世界につなぎ止めたいという
ささやかなあがきだったのだろう
だが、その時ハルはそんなことは夢にも思っていないつもりだったのだ
車で図書館の半地下駐車場から滑り出る
もう何年も暮らしている見慣れたニュータウン
今日も変わらない
そう、いつものように何も変わらない1日になるはずだった

ハルはふと気まぐれを起こした
普段は一番近い道をとるために左折してしまう交差点で
ウインカーに添えた手を離したのだ。たったそれだけ。ほんの小さな出来事
曲がらずにまっすぐその先へと車を走らせる
ゆるやかなカーブの両脇に美しい街区が広がってきた
(意外。こんなきれいな街並みがあったんだ。)

だが次の瞬間、思いもかけないことが起こった
あっという小さな叫び声をハルは上げさせられた

あの底が抜けたようなすっきりとした空を背負って
見たことがないような、いや、“未来に見た”ような何かが
五感を超えてハルの“真ん中”に直に触れて来たのだ
電線がなく、緑の街路樹が美しいということもあるが、それだけではない
“奥行き”がある

物理的なものではない
普遍的な『今』と、過去を昇華した未来

時は消え、天に立ち昇る

そう感じるのはほんのあっという間の瞬間で、車はすぐにそこを抜けてしまった
いったい自分に何が起こったのか
わからないままハルはなすすべもなく車を走らせた
心をあそこへ奪われたまま

しばらく走ったが、どうにも仕様がなくなってブレーキを踏んだ
大きく息をした。気を落ち着かせるために
(単なる住宅街だっていうのに・・。)
確かめようともう一度あそこへとハンドルを切った
そしてふたたびその空間で、やはりあの感覚を帯びると
公園の小さな駐車場に車を滑り込ませた
エンジンを切ると、静かな住宅街に鳥の声だけが響く

ハルは車を降りた
そこから小道が緑の広場に続いている
遊具のようなものはない
元々あった池を生かした公園は
野原のような緑の絨毯と、ぐるりを囲む小道だけ
だが、隣接する五階建ての集合住宅の前面にはパーゴラがあり
小さな白い野バラを這わせていて、ちょうどそれは今、盛りだった
ハルは深呼吸した
息が吐ける空間であることに気がついた
しばらくそこに佇み続けた。他に何をするのかを思いつかなかった
茫然と、というようにただつっ立ち続けていて
父子が犬を連れて散歩してくるのにやっと気づいた
気を取り直してそばにあったベンチに腰を落ろした

空を見上げる
陽光が梢からいい具合にチラチラとこぼれ、風が通っている
目をつぶった
草の匂いがする
はじめての場所なのになつかしい
でもそのなつかしさは、こどもの頃というわけじゃない

(・・ハル・・。ハル・・。)
どこかで聞いたことがあるような、呼びかけがした
(・・・。)
(・・ハル。)
(・・あれ?・・コオ。・・なんだ。そこにいたの?どこに行ってたの?
遠くへ行ったんじゃなかったの?)

離れてゆくコオの気配に、起き上がった夢を見た
目を開くと公園のベンチに横たわったままだった
木漏れ日が清水のように光る
あまりにもコオの息づかいがリアルで
夢だったのか、今、起きた夢を見ているのかわからなくなった
夢を追うように半身を起こす
人の姿はなかった



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10:コオ
コオとはよくふざけた
なんにでも理屈をつけてエラぶるのが好きなコオが可笑しくて
質問攻めにしたことがある
それでも何か答えようとするので、ハルは吹き出した
「答えない、とか、知らないって言葉は辞書にないの?」
「オレはオレなりにいつだって答えを見つけたいんだ。」
気取った答えが自分でも可笑しかったらしく、照れ隠しにハルを羽交い締めした
「コノヤロウ。」
理屈屋とは打って変わって、目を離すとすぐ姿を隠すへんなクセもあった
こどものようだった
「コオ!ほら、もう!見つけた!」
「なーんだ。見つかったか。」

・・だけどある日、ぐい庵で
コオは逃げも隠れもせずハルの真正面でこう言った
「話がある。」
いつもとは違うコオの表情に、ふざけた返事が出来なかった
「話ってなに?」
「ハルはだいじょうぶなんだ。」
「なにが?」
「オレはもうすぐいなくなるけど、だいじょうぶなんだ。」
意味がわからなかった
「どこかへ行くの?」
「うん。」
「そこは遠いの?」
「うん。たぶん。」
「どうして?」
「どうしてなんだろうね・・。」
その時ばかりはコオは答えを用意していなかった
遠い目をして、一瞬黙った
だが、透き通った軽い笑みを風のようにはじかせてこう言った
「だけど、これ、さよならなんかじゃないんだ・・。」
いつも、ところかまわず隠れん坊をされたので
ほんとうにいなくなった時もその続きのようだった

走馬灯のようにコオのことを思い出していたハルは、ふと、気づいた
(あっちだ。)
どうしてそっちなのか自分でもわからないまま、駐車場と反対側の坂道を登った
並木道をゆく
それぞれに心をくだいた美しい家々が並んでいる
また小さな公園があった
おそらく桜の樹だ。ぐるりと取り囲んでいる
その公園の脇の、一軒の家の前で足が止まった
北欧風に煉瓦色に塗られた壁面に、白い窓枠が際立っている

(ここだ。)
前面にドアがある。そこには『スイーツ・テン』と書かれてある
ショップのようだ。なんとなく裏へと廻った
そこにも小さな看板があった
『スペース・ヘンテ』
建物の裏側になるこちら側にもドアがふたつあった
どうしてか、その一番奥の扉を開きたくなった
「あ・・。」
誰もいない
なのにたった今までここにコオがいたことがわかる
「・・え?」
知らないところなのに、思わずドアを閉めて部屋に上がりこんでいる自分がいた
大きな家具はない
印象的なごつりとした木の椅子とせいぜいお茶を並べる程度の小さな丸テーブル
いくらかのカップ&ソーサーを置いた棚
部屋は12畳くらいだろうか。仕切りはない
ほのかに若葉色と桜色の混じったうつくしいシースルーの布が
天井から垂らされており
それは窓から入る風に微かに揺らいでいた
「コオ?」
返事はない
「ここにいたんでしょ?どこ?」
部屋の隅に、ノートパソコンが立ち上がったまま置いてあるのに気づいた
そっと覗き込む
そこには転居届、というタイトルのページが開かれており、ハルは目を見張った
(氏名、サイバラ ハル・・)
住所も何もすべて記入住みだった
しばらく釘付けになったが、好奇心に勝てなかった
『送信』をクリックする

振り向いた
「コオ。」
ずっとずっと会いたかった
コオが立っていた
(来たね。)
(え?・・ここは?)
(ここは・・ここだよ。)
声を出していないのに、通じていることに気づいた
コオが少し笑ったような気がした
うながすように外へ出る。ついて出た
さっき来た通りに道をゆく。だが、気がついた
いやにキラキラとしている
はじめて眼鏡をかけた時のように、世界は輝いている
ものすごく息がゆっくりになる
ひとつついた息はたゆたうようにゆっくりともどってきた
すれ違うひとの顔から目が離せなかった。なんという皺のない顔だろう
それは物理的な意味ではなくて、苦悶のない顔、という表現しにくい表情だ
何かに似ていると思った
(ああ、観音様だ。もしくは弥勒菩薩。)
気がつけばコオもそんな雰囲気を醸し出していた
だが、思い当たる
(元々、彼はそんな顔をしてた。)
コオが振り向いてちょっと笑った
「ねえ、さっきの転居ってどういう意味?」
思わず声に出して問うたが、コオは答えなかった
公園のベンチまで歩いて来て、コオがそこを示しふたりは並んで座った
(文字通り。ハルはここに引っ越した。)
(どういう意味?)
(たましいはここにある。どこにいてもね。)
その時、言葉以上のものがいっぺんに伝わった
どういうわけかすべてわかった
コオの姿が時々光って透けて見えるのも
言葉を交わさずとも理解しあえるのも

こんなコミュニケーションがあるものか
だとしたら“あっち”ではなんというまわりくどい交流をしているのだろう
ハルはベンチから立ち上がった。公園の駐車場の方を向く
コオが可笑しそうに笑っている
ハルは確かめたくて止めてある車のところへと石段を昇った
車はちゃんとそこにあった
コオの方を振り返った
(じゃあ。また。)
手を振るコオに見送られていた
ハルは車を発進した
すぐにあの感覚が来た。水から上がるようなかすかな重み
その層を抜けて、並木道に車を止めた
息が速くなっていた



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